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2014年11月9日日曜日

沖縄のユタ、シャーマンにつきまして、

沖縄のユタ、
シャーマンにつきまして、

最近、というか、以前から、疑いつつも興味があったキーワード2点。

ここにきて、ぽっこり空いた穴にすっぽり収まった感覚で、
このワードがふわふわ体内に常駐しております。

といいますのも、
2006年、ピナ・バウシュ率いるウッバダール舞踏団の2公演「春の祭典」「カフェ・ミュラー」を実際に見に行った頃に戻るわけですけど。

存在価値を見失っていた自分にとって、
この2公演のその場にいられたことは、
自分の生き死にを分ける重要なポイントとなるくらい、
忘れられない一日となりました。

心底、「生きていてもいいんだ」「なんだよ、私、生きてもいいんじゃん」、と思い、単純に救われたわけです。

この公演のパンフ?小冊子?と言っても、ハードカバーでしっかり作られた本を買って帰ったんです。

なんせ、私、文章を読むのが苦手で、当時は買ったことに満足し、読んでないんです。
ちょこちょこ読んでは閉じ、を繰り返していて、全然読めてなかったんですね。
それが、最近になって、ふわーっと久々に手に取り、さらりと文章を読めたのですね、トイレで。

したらよう、
「ユタ」だの「シャーマン」だの「神憑り」だの「憑依」だの、出てくるわ、で。
舞踏とか、アートとか、何かを表現するって、やはり憑依体質でないと難しいと思う、という概念ももともとあったし、とてもしっくりきてね。

というのも、なんでこのワードが気になるのかって、
もうひとつ理由があるんですけども。

誰に話しても、自分もうまく説明できないし、信ぴょう性ないし、伝わらないしで、
もう自分でひたすらに調べるしかない、感覚で信じるしかないものを見てしまったわけで、
それらについて、あーでもないこーでもない、なんて調べてるとシャーマンだのが出てくるわけですね。

ほんで、
むう、むむう、となってるわけです。

と、今日は自分の中の意味の分からないどうでもいい話になってしまったので、
次回はこれについて調べたことをしっかり綴ろうと思います。